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「楊乃武と小白菜の冤罪事件」

清末四大奇案の一つ  「楊乃武と小白菜の冤罪事件」
 みなさん、こんにちは! 編集Tです。先日、余杭にある「杨乃武と小白菜の奇案展示館」に行ってきました。「杨乃武と小白菜の奇案」とは杨乃武と畢秀姑(小白菜)が不倫、共謀をして夫を殺害したと疑惑をかけられた冤罪事件です。清末の四大奇案の一つと言われています。展示館ではこの二人の冤罪事件に関わる事案資料や当時のニュース写真、そして事件の流れを人形や図などで詳しく紹介しています・・・が当然ながらすべて中国語で内容も裁判や当時の官僚たちの体制などかなり専門的なことをあつかっていますので理解するのは難しいです。でも当時の写真や人形の苦悩の顔、拷問方法の図解を見るとその時の彼らのつらさや審議方法の不条理が伝わってくるのではないかと思います。
 ではこの事案の概要を以下に簡単に説明します。
 楊乃武は浙江省余杭県余杭鎮澄清巷の生まれで、代々養蚕業と桑栽培を営む※1挙人であった。畢秀姑は18歳のときに葛品連と結婚した。眉目秀麗で、よく白色の着物に緑色の前掛けをしていたので「小白菜」と呼ばれていた。当時、葛家は楊家の裏に部屋を借りて住んでおり、両家には深い親交ができていた。楊乃武は畢秀姑に字を教え、時にはその振る舞いがとても親密に見えたので世間から「羊(楊)が白菜を食う」と噂がたつようになった。
 葛品連は豆腐店の職人で、ある日のこと発熱、震え、嘔吐がひどく、畢秀姑からも仕事を休むようにうながされたがそれでも仕事に出た。しかし、次の日の朝の1873年10月3日に泡を吹いて死んでいたるのが発見された。
 知県の劉錫彤は見聞を行い、楊乃武と畢秀姑が親密なため共謀して葛品連を毒殺したのではないかという話も聞き、二人を疑った。そして検屍の結果、ヒ素による毒殺であると認定した。3度にわたって楊乃武を拷問にかけたが、自白にさせることができなかった。劉錫彤は報告書の「死者の口と鼻から流血があった」という部分を「7つの穴から流血があった」と改ざんし杭州府に送った。杭州知府陳魯はさらに拷問を加えたため、ついに楊乃武は自白に追い込まれた。その結果陳魯は楊乃武に斬罪、畢秀姑に※2凌遅刑を言い渡し、浙江按察使蒯賀蓀に報告した。楊家はこれを不服として抗弁書を提出した。楊乃武の姉の楊淑英(菊貞)はかつて刑部右侍郎の夏同善の家で働いていたことがあり、抗弁書は夏同善と刑部分管浙江司刑獄林文忠を通じて、軍機大臣兼総理各国事務衙門大臣翁同龢の手元に届き、彼らは事件が冤罪であるとの疑いを持つようになった。西太后は刑部を通じて、浙江巡撫楊昌濬に再審を命じ、監察御史王昕を派遣した。王昕は楊乃武がヒ素を買ったと自供した愛仁堂ではヒ素を売った事実はないことを突き止めたが、楊昌濬は面子を保つために「姦通して毒殺した」と上奏した。朝廷は浙江学政胡瑞瀾を欽差大臣に任命してさらに審理にあたらせたが、胡瑞瀾は刑法に無知で、劉錫彤から賄賂を受け取り、拷問によって自白を迫った。畢秀姑は再び楊乃武にそそのかされて殺害したと自供した。胡瑞瀾は楊乃武に斬罪、畢秀姑に凌遅刑を言い渡した。

 しかし監察御史の辺宝泉は胡瑞瀾の審判を弾劾した。1874年、楊淑英と楊乃武の妻の詹彩鳳は再び北京にのぼり、夏同善の紹介で浙江籍の官員30余名に無実を訴えた。夏同善と王昕は楊乃武の無実を上奏した。1876年、刑部尚書桑春栄が自ら審理にあたることになり、葛品連の棺を開けて検屍をやり直した。刑部に在職60年の検屍官が調べたところ、毒殺ではなく病死であることが証明された。こうして翌年2月に事件の終結が宣告され、楊乃武と畢秀姑は釈放された。しかし獄中での拷問で障害を負い、名誉回復もなかった。楊乃武は養蚕業と桑栽培で余生をすごし、1914年9月に病死した。畢秀姑は出家して尼となり、法名を慧定といい、1930年に死去した。
 この事件で有罪を主張した胡瑞瀾・楊昌濬は左宗棠率いる湘軍出身の「両湖派」の人物で、彼らに疑義をはさんだ翁同龢・夏同善・張家驤らは江蘇省・浙江省出身の「江浙派」の人物であった。そのため事件は「両湖派」と「江浙派」の政争の様相を見せることとなった。結局、冤罪が証明され、胡瑞瀾・楊昌濬以下30余名の官員が免職となり、左宗棠と「両湖派」は大きな打撃を受けた。政争にからみこれほどの官員が免職された大きな事件となったため、清末四大奇案の一つと呼ばれるようになった。
 ※1挙人(きょじん)は中国古代の人材登用に関する称号。時代によって概念が異なる。明・清では科挙のうち、郷試に合格した者を挙人といい、また「大会状」「大春元」とも称した。
 ※2凌遅刑(りょうちけい)とは、清の時代まで中国で行われた処刑の方法のひとつ。生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間にわたって激しい苦痛を与えたうえで死に至らす刑。歴代中国王朝が科した刑罰の中でも最も重い刑とされ、反乱の首謀者などに科された。また「水滸伝」にも凌遅刑の記述が記載されている。また、この刑に処された人間の人肉が漢方薬として売られることになっていたとされている。この刑罰は李氏朝鮮(朝鮮王朝)でも実施されていた[1]。また、これに酷似したものとして隗肉刑がある。
 
 参考資料:Wikipedia、余杭新聞網、好捜百科
 撮影場所:杨乃武与小白菜奇案展示馆
 住所:杭州市余杭区余杭镇02省道旁
 電話:0571-88681288
 付近の駅:天目山西路上和路口(公交站)(115米)
 入場料:58元
 
 いかがでしたでしょうか。政争に巻き込まれ、とんでもない濡れ衣を着させられ、ひどい拷問を受けるとは・・・。時代が時代とはいえ、不憫でなりません。
この事案は中国では昔から映画化されており、新しいものでは2005年にテレビドラマ化もされています。題名は「杨乃武与小白菜」。DVDにもなっていますので、興味のある方はご覧になってはいかがでしょうか。私も中国の勉強も兼ねて見てみたいと思います。
 (2015-6-29)
 
 
 


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