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杭州にいたアノ人は今!!黒崎 誠


名前:黒崎 誠  ローマ字名:MAKOTO KUROSAKI
勤務地:静岡県 浜松市
趣味:釣り、料理、映画鑑賞
 
「杭州と父親、私の摩訶不思議な縁」
 
4年前に定年を迎えましたが、現在も浜松の楽器製造会社にシニアとして務めています。杭州には、2010年8月から2015年4月までの約5年間、萧山にある工場に駐在しました。
自分自身の生活基盤も整っていない中ゼロからの製造ライン立ち上げで、現地スタッフも全員が未経験者、日本からの応援者も海外出張経験の少ない若手が1名という状況で、新工場の二階に割り当てられたフロアにそれこそレイアウトの線引き一つ一つから手掛けていきました。
しかし折しも尖閣諸島問題で日中関係がギクシャクし始めていた時で、日本から送付した自分の生活用品や設備などが通関で足止めをくらい大幅入荷遅れになったり、ようやく到着したかと思えば大きすぎて建物内にすんなり入らなかったり、苦難を乗り越えて設置した設備が冷却装置の不具合で水浸しになったりと、色々なハプニングの連続でした。作業員の定着も最初は中々思うようにいかず、ようやく育てたかと思うとやれ家族の事情とか給料の良いところが見つかったからとかで辞めていき、それはかなり不安定でした。
そんな逆境も当初から一緒にやって来た現地スタッフ達の粘り強い頑張りで少しずつ改善されて安定した軌道に乗せることができ、新製品を出荷するその都度に固い絆が構築されてきたように思います。社内の新事業を担うパイオニアとして自負心を高めていった彼らと一つの目標に向かって同じ時間と空間を共有できた事は、とても貴重な経験でした。
文化・環境や信仰の異なる海外でコミュニケーションをうまく取っていくのに、思った以上の苦悩や困難が伴うことを海外で過ごされた皆様はよくお分かりだと思います。私も途中で投げ出したくなることが何度かありました。ですが、以前2000年から6年ほどインドネシアで駐在した経験があったのでその点は割と免疫ができていたようで、仕事に対し真剣に努力することは前提ですが「焦ってもなるようにしかならない」と鷹揚に構えて対処できたのが何よりでした。インドネシア時代からの座右の銘は “慌てず、焦らず、あきらめず” です。
よく言われることわざではありますが、現在杭州に駐在されている皆様やご帰国された皆様に、多少なりとも共感を持ってうなずいていただければ幸いです。
 
さて、5年間の駐在期間でいつも心を和ませてくれたのは何といっても西湖です。アパートが平海路沿いだったので部屋からも眺める事ができましたが、休日は朝早く起きて湖畔を散策し、噴水を過ぎた辺りにあるオープンテラスの椅子に座ってボーっと湖を眺めているのが好きでした。夏は日が昇る前の清々しいひと時に目の前の西湖を独り占めし、冬は雪が積もってまるで水墨画の世界になった西湖を見ては、ああ中国にいるんだなぁという感慨にひたったものです。
また朝方の湖畔といえば、お爺さんやお婆さんたちを中心とした太極拳のグループです。ゆったりとしたその動きもまさに中国。そうかと思うと中には躍動感溢れる剣舞を披露しているおじさんとおばさんのペアがいて、方やなんとローラースケートを軽やかに操っている謎のおばさん集団にも遭遇したりして、様々な場面を見せてくれる湖畔の広場は年中通して楽しませて頂きました。
そして、お手軽に西湖を一望できるスポットだったのが雷峰塔です。西湖を周回しているトロッコバスに乗れば初めてでも簡単に行けて便利です。雷峰塔に入る際は観光客が多いので多少並ばないといけませんが、白蛇伝の舞台にもなったこの雷峰塔から眺める西湖は全景がよく分かり、一度は行ってみる価値があると思います。
そしてもっとパノラマ感を味わいたい方は、西湖の北側に面する宝石山に登ってみる事をお薦めします。岩山を登るので足元をしっかりとしておかないと滑って危険ですが、斜面の岩肌の凹みにゆっくりと腰を下ろして、しばし眺める西湖は本当に圧巻ものでした。
 
ところで私には西湖に対して特別な思いがあります。それは私が中国に駐在が決まり、しばらくは母親とも会えなくなるので、実家へ帰った時のことでした。母親が急に「中国ならばコウシュウを知っているか?」「杭と書く州だ」というのです。事前に赴任先まで伝えてなかったので、「いや、その杭州にいくのだけど」と答えたところ古い箪笥の引き出しから色あせたアルバムを出してきて、「お父さんが戦争に行っていた時の写真だよ」と言って数枚の写真を見せてくれました。戦争時代のことは父親からほとんど聞いておらず出兵先もよく知らなかったので満州あたりだろうと勝手に思い込んでいましたが、なんと杭州だった!ということで親子二代に渡って杭州に出兵(駐在)する不思議な縁を感じました。
そしてその写真は若かりし頃の父親が「杭州日本軍駐屯地」と書かれた建物の前で立っている姿が数枚と、一枚は湖のほとりに直立不動で立っている姿でした。いつか湖のどこらへんになるのか探してみようと思っていましたが、杭州に着任して初めての休日にその時がやって来たのです。
萧山の金馬飯店近くからバスに乗り、現在の地下鉄1号線龙翔桥(Long xiang qiao)駅の場所にあったバス停終点で下り現在は江戸前寿司がある通りを抜けると、杭州凯悦酒店横に出て西湖を望む場所に出ました。
そして湖畔の通路まで歩いたところで例の写真を取り出し周りの風景と比較したのです。正面から見て父親の左側に湖があり背中には山が見え、そして山の右側には細長い塔が立っています。ん?今自分が立っている場所も左側が湖で・・・背中には山があって・・・山の右側には細長い塔が見える(!!)。なんと正にこの場所だったのです。
偶然なのでしょうが引き寄せられるようにこの場所に立ったことは、父親に導かれたような気持になりとても感慨深い気持ちで一杯になりました。(後で山は宝石山、細長い塔は保俶塔であることを知ります)杭州に駐在した人は数多くいらっしゃると思いますが、時空を越えて親子二代で同じ場所に立った人はそうそういないのではないでしょうか?これ以来、西湖は私にとって特別な場所となったのです。
 
最後になりますが、杭州で生活した約5年間は、日本人中国人を問わず心の通じる人たちにたくさん出会うことができ、お世話になりました。また特に大きな病気をすることもなく過ごせてきたことが何よりでした。中国ありがとう、杭州ありがとう、また来るね!再见!
 


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