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杭州にいたあの人は今!末松 建太郎


お名前:末松 建太郎  
ローマ字名:SUEMATSU KENTARO
プロフィール:
勤務地:大阪府大阪市
Mail :490122ks@gmai.com
We Chat ID:wxid_aaqp36k0h4kq22
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「出会いはほんの一部で大部分がすれ違いです。」

1・初めての転勤が杭州
 私は2011年6月~2017年の3月迄、杭州に駐在しました。1996年に今の会社に入社して以来、東京、銀座(現在のGINZASIXのある所)に15年間勤務しており組織名称の変更、役職変更以外の辞令を受けていない人事のブラックリストにのる社員でした。毎年人事異動の季節に上司や部下、同期が異動するなかいつも上司から「今年も君の異動はない」と言われ今年もないかなと思っていました。2011年3月11の東日本大震災が起こり対応に日々追われていた時、4月1日に上司とたまたま2人で喫煙所にいる時、「聞いてる?君の異動」と言われ何故か「中国ですか?」と条件反射で応え、「どこですか?」に対し「多分、2、3年上海でその後、どこか行くかな。まだ内々示だから誰にも言わないで」とのやり取りがあり、私の初異動が決まりました。私の当初の赴任地は上海だったのです。その後、内示後の2週間後、当時の総経理から「杭州に行ってもらう事になりました」のメールで上海から杭州への赴任が決まりました。
2・単身と初の一人暮らしと杭州生活
 初転勤以上に自分自身の最大の不安は一人暮らしでした。結婚するまでは実家暮らし、転勤までも家族と暮らしていた私は己の生活力ゼロに等しい人間でした。2012年の4月に家族が杭州に来るまでの10カ月は精神的に鍛えられた期間だったと思います。駐在した先輩に駐在時代の生き方、考え方を言われたことがあります。一年目:異国での生活基盤を早く築く事。二年目:自分の信念を持ち、周りに同化されない事。三年目:全体を把握し自分のやりたい事を現地で浸透させる事。四年目:日本、現地に対し影響力を持ち、情報を与えられる人間になる事。五年目:帰国した後の自分を考え始める事。駐在は会社によって色々とあると思いますが原則は有期でいつかは日本に帰任します。限られた時間で何をすべきかという点についてはこの5年間の生き方は大きな指針になったと思います。
 一年目はとにかく必死でした。中国語については你好、謝謝、再見位しか分からなかったので学校に週2回のペースで通いました。半年位からスタッフともコミュニケーションが取れるようになり会話が成り立つようになりました。3年目からは週1回に減らしましたが帰国直前まで行ったのでそれなりのレベルにはなったと思います。生活面では会社に日本人が一人しかいないため3か月位は友人もほとんどいなく孤独な生活を送っていましたがこの時に自炊するようになり生活力がつきました。最初の内は一人で日本料理にもよく行きましたが周りが日本人同士に対しカウンターで一人で食べていると孤独を感じるようになったので一人で日本料理に行くのはやめ中国語の勉強も兼ねて最初は写真のメニューのある店から始め、文字だけのメニューの店に移行し、通じるようになるまで毎晩、中華料理に行くようにもなりました。(塩分の摂りすぎで血圧は相当上がってしまいましたが)それでも元来、寂しがり屋の私はお客さんのところへ行けば、毎回、ご飯行きましょうと声をかけたり、口コミで飲み会の話があれば必ず参加するようにしていました。○X会(今もあるのでしょうか?)には初回参加から帰任迄、参加率90%近くだったと思います。自分で動く事で人間関係、生活基盤を築いた一年目だったと思います。
 2012年からは家族帯同となり、杭州日本人学校に子供が通うことになったおかげでまた別の方との出会いもあり、家族同士での付き合いも増えました。当時の日本人学校は小学校一年~中学三年迄で50人足らずの学校でした。非常にアットホームな雰囲気であり上海のマンモス校では体験できない学年を超えた助け合いと友達付き合いを5年間経験出来たことは子供達にとってよかったと思います。仕事面では2012年に寧波事務所を開設、所長兼任となり管轄が増え、2015年には蘇州を兼任となり蘇州に引っ越しという話もありましたが頑なに杭州を離れることなく週2~3日蘇州に行っていました。非常に忙しい日々を送ることになりましたが充実していましたし、また杭州以外での人間関係を作ることが出来ました。充実してためアッという間に年月がたったような気がします。
3・現在は
 2017年の3月に大阪に帰任しましたがこの一年は激動の一年でした。日本での仕事にようやく慣れ始めた頃、突然、静岡の冷凍、冷蔵倉庫の所長として異動することになりました。ずっと海外部門にいたので国内の倉庫勤務に異動することは海外へ行く以上の不安を感じましたが当時に副社長に「2~3年、定温事業を勉強し東南アジアでの定温事業を君が立ち上げるんや」と行先不明の再度の駐在を前もって言われた感じがしましたが単身で静岡に赴任しました。静岡の土地柄、茶葉の取扱いが多く、ふとした時にそういえば、杭州と静岡って姉妹都市だったなと思いだし、静岡勤務になった自分にやっぱり杭州って縁があるのかもしれないなと思いました。1年を迎える時、6月の株主総会で副社長の退任が決まりプロジェクトが頓挫し、一年で海外部門に戻る事になり7月より大阪で家族と再び暮らし、勤務しています。会社の人事って本当に分からないですね。
 最後になりますが、見知らぬ所へ行くことによって初めての出会いがあります。しかし、出会いはほんの一部で大部分がすれ違いです。その中で杭州という町で駐在員仲間、家族という共通のグループに所属出来、たくさんの人に支えられ私も家族も無事に有意義に過ごす事が出来ました。会社都合とはいえ杭州で出会った人との繋がりは今後も大切にしていきたいと思います。お世話になった皆様、本当に有難うございました。今後ともよろしくお願いします。

 


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