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杭州にいたアノ人は今!!田中 真智子


名前:田中 真智子(旧姓:外村)  ローマ字名: TANAKA MACHIKO(TONOMURA)
勤務地:世貿君欄大飯店(旧世貿大飯店)
趣味:キャンプ・スキー・ピアノ・夏の高校野球観戦・陶器屋&雑貨屋めぐり
 E-mail:waicun_0203@yahoo.co.jp
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2006年2月14日St.バレンタインデーに来杭。2011年末まで杭州、その後2年間を上海で生活。2013年2月まで丸7年間中国で充実した毎日を過ごしました。
 
杭州に降り立つ半年前、既に35歳になっていた私は、世間一般的な婚期も最終ゾーンへ突入?当時、広告代理店を退職し雑貨屋を滋賀県で細々と営んでいました。
開店7年目を迎えお陰様で店はぼちぼち繁盛してたのですが・・・・。
たまに実家へ帰ると、母親や親戚の叔母からの結婚の催促や見合いの話も相変わらずの勢いで・・・・私の中では結婚は45歳位かな?と決めていたので全くの聞く耳持たずの状態でして。でも独身生活も後10年か・・・。と考えた時、なんかまだやり残している事あるなぁ~と。なんとなく海外旅行でごまかしているけど、漠然とあった『海外で働いてみたい』の思い・・。その頃、なんとなく興味をひかれたのが中国でした。
中国へは上海で仕事している兄を訪ねて遊びに行った事が何回かありました。訪れる度に、めまぐるしく変わる上海の街。エネルギッシュな空気と活気は、正に20代の時に経験した日本のバブル!!!いや、それ以上かも・・・ぎりぎりバブル世代の私は、すっかりバブリーな上海に興味深々・・(笑)少々不純な動機で、先ずは働く前に上海への語学留学を考え、留学情報収集にとりかかりました。
とりあえず留学雑誌などで掲載されていた、社会人留学の案内もある中国留学説明会へ行ってみることにしました。申込みから渡中までの手続きの説明が一時間程あり、その後個人面談。話をしたのは流暢な日本語を話す張さんという中国人女性でした。
私が、中国に興味があり語学留学を考えている事を、話始めると張さんは私の職歴を聞いてきました。年齢と職歴から考えて語学留学だけで渡中するのは、時間がもったいないのでは?社会経験があるのなら仕事をしながら中国語を勉強すればどうか?ということで、いきなりホテルでの営業の仕事を勧められました。
当時、日系企業が次々と中国進出をし、長期滞在者や出張者が多く中国のホテルに滞在している為、中国のホテルでは日系市場を任せられる日本人を探しているという事でした。まさか、仕事の紹介をされるとは思いもよらず。また、ホテルでの仕事経験もありませんでしたが、これも何かのご縁&チャンスだと思い前向きに考える事にしました。
後日、張さんから上海と杭州のホテルを紹介され、結果、杭州のホテルでの採用が決まりました。その後、半年間で店の閉店・片づけ、渡中書類の手続き、ビザ、予防注射等の準備を終え、すべて準備を終えてから両親へ報告し『その歳で何を考えているのか?あんたの生き方はホンマに理解出来んわ!』と母に言われながら(笑)少々親不孝者ではありますが、後ろ髪を引かれる事もなくワクワクしながら日本を飛び立ちました!
杭州では4つ星ホテル『東方豪生大酒店:Howard Johnson Oriental Hotel Zhejiang 』の営業部で半年程勤務した後、お客さんの紹介で別の5つ星ホテル『世界貿易中心大飯店』へ転職しました。(新名称:世界君欄大飯店)こちらのホテルでは10名程の日本人長期滞在者が宿泊され、通常の日本人宿泊客は毎日10~20人程でした。日本人スタッフは私一人なので日本市場の営業からゲストリレーションの仕事まで全部一人で請け負います。以前のホテルでもそうだったのですが、一人ですべてを引き受けていると携帯の電源も切れないので、かなりストレスが溜まります。でも、このホテルのスタッフは人柄やサービスレベルも比較的高く、機転が効くスタッフが多かったので、退社後の時間帯に電話で呼び出される事が少なくなりストレスが半減しました。星ひとつでこんなに違うのか!?と思わされました。(笑)
そのお蔭で退社後のアフター5は気兼ね無く、日本人仲間と飲み明かす事が出来ました。
当時、杭州市内のホテルでは他に、シャングリラ・ハイアット・ラマダ・ラディソン・維景ホテルにも日本人スタッフが勤務されお互い情報交換等もしながら、わからない事も相談に乗って頂いて心強い仲間でした。
営業部の仕事は通常AM9:00~PM5:00まででしたが、お客様のチェックイン&チェックアウトに立ち会う時にはAM8:00~PM7:00になることも良くありました。朝の打ち合わせが終わると直ぐに同僚達とホテルのマイクロバスに乗り合わせ、それぞれ担当企業へ外回りが始まります。杭州市内と下沙の開発区へ行くことが殆どで、午後3:00頃まで一日6~8軒廻ります。営業では主に宿泊、会議、宴会の案内、新規企業への法人契約の案内等が主な仕事でした。同僚との営業廻りも楽しかったのですが、自分のペースで廻りたい時は、下沙開発区行の赤バスB1で1時間程揺られて行った事もよくありました。今は地下鉄が開通しているようですが、当時はまだ工事中で地下鉄は無く、また開発区内は一般タクシーが入れませんでした。その為、専用の乗合タクシー(古汚いミニバン)に乗り換えて目的の会社まで行き、一軒一軒、乗合タクシーを拾って営業廻りしました。開発区も端の方へ行くとタクシーが全然捕まらず、炎天下の中、1ブロックがとっても長い工場から工場を幾つも越えて、途方に暮れながら一時間近く歩きまわった時もありました。ある時は、突然の大雨で傘もなくずぶ濡れになり、通りがかりのトラックのおじさんにバス停まで乗せてもらう事もありました。
また、毎月1週間上海へ出張し、上海にある企業をまわるのですが日系企業も杭州の10倍あるので一日に回る数も10~15件以上。基本地下鉄&歩きなので、一日の営業が終わるとクタクタなのですが。やはり上海に来てホテルに籠っているはずが無い訳で・・・。
しっかりアフター5のアポをとって段取りバッチリで上海出張へは来ていました。日本食材も豊富なので『しんせん館』等によって日本食を買占めハンドキャリーをパンパンして杭州へ戻っていました。上海⇔杭州間の新幹線が開通したのは、2010年10月なので、当初は電車で2時間近く係って上海へ行っていました。しかも直角90度の硬座で! 帰りの電車では記憶が無い程疲れ果て、窓に移った無表情で化粧気のない自分の顔にびっくりする事もしばしば・・・・。ホテルに宿泊される日本人ゲストの方は殆どビジネスで来杭され、杭州での定宿として利用されていました。メーカーや商社、自治体の方等大切なお客様と同行される企業の方も多く、ご要望等も細かくリクエストされる客様も多く、出来る限りご要望にお応え出来るようにしていました。日本人スタッフが常駐していると安心すると行って頂き、お蔭様でご贔屓にして頂きました。時間のある時には色々興味深い中国ビジネスのお話も聞かせて頂き、色々勉強させて頂きました。
日本では無く、中国にいるからこそお会いできた方々との出会いは、私の人生の貴重な経験と財産になっています。また同じ時期に杭州で生活した日本人の仲間の皆さんとも、楽しい思い出が一杯です。とりあえず週末は何かしらの飲み会に参加させて頂いてました。初めてハーフマラソンに挑戦したのも杭州でした。『杭州マラソンを走ろう会』も良い経験になりました。最近、ランニングシューズも下駄箱の隅へ追いやられていますが、また始めようかな~~。と思いながら・・・・
 
 杭州では、5年の間に随分多くの日本人の方が帰任され送別会に何回出席したかわかりませんが。ふと廻りを見渡すと日本人の人口も減り、帰任後、後任の方が赴任されない企業などもあり杭州の日本人社会は寂しくなりつつありました。私もそろそろ日本へ帰ろうかな?と思い始め、とりあえず上海へ引っ越す事にしました。杭州を去る時には、もう送別会を開いて貰えるメンバーも無く。(笑)確か私より一カ月早く帰任した日本人女性:Hさんと最後に『寂しいね~』と言いながら飲み交わしたのが、お互いの送別会だったかも・・です。
 
 その後上海へ移り、半年、交通大学の中国語コースでのんびり中国語を勉強した後、
 友達の会社で少し仕事をさせて頂きました。その友達を通じて上海へ赴任してきた、夫との出会いがあり一年後日本へ帰国し入籍しました。
 
  中国へ旅経ってから、早くも13年が経過している事に今回改めて気づかされ、自分の年齢にもびっくり仰天です!!帰国して6年、暫く主婦業をのんびり満喫し短期の仕事をしながら気楽に過ごしました。昨年夏に夫の転勤で福岡から関東に戻り、この春から新しく仕事を始める事になりました。車部品の資材調達部で仕事をする事になり、また少し中国とも関わる事になりました。
 今回、杭州へ出張する人から日本食事情を聞かれ、杭州Naviのダニエルさんに最新事情を伝授して頂こうと久しぶりにメールをさせてもらったのが切っ掛けで、この原稿を書かせて頂く事になりました。改めて中国での楽しい時間を思い出す良い機会となりました。『ダニエルさん、ありがとうございます!』 
  また、これを読んで懐かしく思い出して頂いた方がおられましたらお気軽にメールでご連絡下さい。今は、神奈川県相模原市に住んでいます。近郊にお住まいの方、是非また飲み会しましょう!梅雨のこの時期、湿気が見える蒸し暑い杭州が懐かしいなぁ。
                                      
再見


世贸君欄酒店時代のクリスマスパーティーファッションショー




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