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あの人今!!岡崎 弘司


名前:岡崎 弘司  ローマ字名: OKAZAKI HIROSHI
勤務地: 中国では杭州市内で3年ののち上海で3年 現在は東京都内
趣味:スポーツ観戦
会社HP http://fl-sol.com/  株式会社F&Lソリューション(中国子会社 索流順(杭州)信息科技有限公司)
 
              「生涯忘れることの無い杭州」
 
私は2006年から2008年の間、杭州で仕事をしておりましたその時のことを思い出しながら当時の杭州の様子をお伝えできればと思います。当時の中国は2008年に北京オリンピックを控え、また2010年には上海万博を控えており、とてもすごい勢いで発展しておりました。本当か分かりませんが当時会社の近くにあったマンションはたった3年で3倍以上の値がついたと聞いております。ただ当時、中国の不動産に投資できるほどお金も知識も勇気もありませんでした。もしあの時小さな部屋でも買っていれば今頃は。。。
 私は26歳という比較的若くして赴任させていくいただく機会に恵まれました。20代の日本人は数人で、あとは留学生くらいでしたので、当時の駐在されていた先輩方からは弟、息子のように可愛がっていただきました。同じ時期に日本で過ごしていたら、到底得られない経験をたくさんさせていただき、今でも当時の会社には感謝しております・・・その会社はもう辞めましたが。
 
赴任した最初の頃は見るもの全てが刺激的でした。好奇心も旺盛だったのか、日本から持参した『地球の歩き方』的な本を片手に、盗まれると言われつつも購入した自転車でいろんなところへ走り回りました。
中でも忘れられないのは、途中で引き返そうと何度も思いながら登り切った龍井村。路上で疲れ果てた若者にお茶をご馳走してくれた、と思ったら笑顔で売りつけてきたおばあちゃん。帰りの下り坂になったら、風をきって気持ちよく帰る、それだけを希望に必死に登っていたのに、あまりの急な下り坂と中国車のブレーキ品質が信じられない為、結局自転車を押しながら歩いて降りた帰り道。忘れられません。それ以外にも西湖をはじめ、近場の有名な観光スポットはもちろん、後に映画『非誠勿擾』の舞台にもなった西渓湿池などいろいろな場所に愛車とともに行きました。今思うと若かったですね。
 そんな愛車も2年くらいで誰かの手に渡ってしまいました。かなり使いこなし、小汚くなったので、盗まれるなんて全く思ってなく、それでもちゃんと鍵はかけていたのに。あんなボロチャリでも持っていく人がいるのだと杭州の恐ろしさを改めて学ばせて頂きました。
またもう一つ大きな思い出は、美容師のMさんです。今も杭州でご活躍されているのでしょうか?
私の前任の勇者が、ほとんど喋れない中、近所のローカル美容室に行き、取り敢えず知っていた単語の「短」とだけ言ったら、中国人も爆笑の直角刈りにされたと聞いており、散髪が赴任前の一つの悩みでした。しかし杭州ナビで調べたら近くに日本人美容師さんがいることがわかり、歓喜したのを今でも忘れられません。カットでさっぱりさせてもらっただけでなく、杭州のいろんな情報を教えてもらいました。最初に私にiPhoneを持つ勇気をくれたのもMさんでした。当時はまだiPhone3Gでしたが、ガラケー最盛期の当時、ボタンのない携帯を持つのには相当の勇気が要りました。でもMさんのおかげで使いこなせるようになり、ちょっと自慢げにiPhoneを取り出し、Mさんからの情報を得意げに知り合いに話す私がおりました。またMさんがやっていたラジオ?風の情報サイトにもこっそり投稿して、楽しんでいたのも懐かしい思い出です。お世話になったのに杭州を離れてから全く連絡を取ってなく申し訳ない限りです。
 そして私の杭州生活で切っても切り離せないものがソフトボールチームの杭州WestLakersです。
幼少の頃から野球に親しんできた私にとって中国でのストレス発散の唯一の場がソフトボールでした。当時は紅白戦ができるほど人が集まる事は滅多になかったので基本的には練習だけでした。それでも、元プロ野球選手や実業団のエースピッチャーさんなどがおり、練習だけでも楽しくやらせてもらっていました。でもやっぱり試合がしたい。そんな中、最大の楽しみが、年に数回の遠征試合です。杭州を飛び出し、他の都市へ遠征に出て、そこの日本人チームと試合をやるというものです。試合に飢えていた私たちにとっては、遠足前の小学生のように、一週間くらい前からはそわそわして寝付けないでいたものです。
 遠征の時は金曜の夜仕事終わりに空港に集合し、そのまま現地入りし、土曜日は現地のチームと数試合行い、夜は懇親会。翌日は簡単な観光をして帰るといったスケジュールでした。私が参加させていただいた遠征は厦門、大連、青島、近場では上海、寧波でした。その中で特に印象深かったのは大連遠征です。なんと遼寧省女子ソフトボール代表チームが試合を申し込んできてくれたのです。その中には2008年に行われるオリンピックの中国代表に選ばれている選手もおりました。ごっつい選手もおりましたが、さすが東北の血なのかスタイル抜群の美人選手がとても多くいたと記憶しております。
 試合前まではたくさんの女の子たちとソフトボールができる喜びで、デレデレだったWestLakers一同でしたが、相手投手の投球練習を見るや否や顔が引きつるほどピリッとした雰囲気になったことは今でも忘れられません。聞くところによるとそのピッチャーは2008年の北京五輪中国代表メンバーに選ばれているそうです。しばらく投球練習を拝見し、その球威の凄まじさと自分たちの実力を計算し、早々にバッテリーのレンタルをお願いしました。それでも二番手投手もすごい球を投げており、緊迫した好ゲームとなりました。最後に一緒に撮った両チームでの集合写真は宝物です。

 こんな感じでちゃんと仕事をしていたのか疑問に残る3年間でしたが、いろいろな仲間と共に、濃い3年間過ごすことができました。その後上海に異動となりましたが、生活面では便利になったものの、やはり杭州のほうが楽しかった記憶があります。同時期に駐在していたある方が言っておりました。杭州は町内会のような規模なので、仲良くなったらとことん仲良くなれて、居心地がよくなる。私にとってはまさにその通りの街で、生涯忘れることのできない街です。




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