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杭州にいたアノ人は今!!肥田紀子


名前:肥田紀子   ローマ字名: HIDA NORIKO
勤務地:神奈川県
年齢:秘密    趣味:旅、マラソン

「タイトル」 日本に適応障害発症中
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◇中国滞在歴について
 2001年9月、語学留学のために杭州へ。
浙江大学と杭州師範学院で中国語を勉強し嘉興、杭州の日系企業に勤務、2011年9月に帰国しました。その後、現在の勤務先で再び浙江省に1年半ほど滞在しました。「日本で中国語を使って仕事をしたい」と留学期間は1年程度の計画でしたが、居心地がよかったのか結局10年の滞在になりました。
◇留学生活について
 日本と国交がない国の留学生との交流は貴重な機会でした。最初は学生寮に住み、後に韓国人留学生とルームシェアで一般のアパートに転居しました。大学院へ留学していたルームメイトはクラスメートをよく家に連れてきて紹介してくれたので、中国の普通の大学生との交流もでき、勉強になることが多くありました。
◇懐かしいもの
 開発前の平海路にあった珍珠奶茶の麦田村、雑多な工联、吴山路夜市。
タピオカ大流行中の日本で珍珠奶茶は1時間も並ばないと買えない不思議な飲み物です。
 张生记、玉玲珑、知味观、川味观、外婆家、绿茶餐厅、奎元馆、新丰小吃、龙井草堂、青藤茶馆、湖畔居、小肥羊、花中城、兰州拉面…日本にも小肥羊や兰州拉面ができましたが、日本価格のため中国のような頻度では通えません。シルク市場や四季青市場もよく行きました。
 最もよく利用した16路のバスは1元で浙江大学から平海路まで行けて、なぜかテレビがあり、なぜか樱桃小丸子が放映されていて和ませてもらいました。
◇日本人交流について
 テニスサークル「ドラキュラ」、西湖マラソンを走る会、京橋羽根つき倶楽部、女性の会、静岡県人会「八茶八座」、丑の会、白酒の会、杭州生活向上委員会(杭生会=反省会)…
 何かと不自由な環境で一緒にモガイタという共通点があるからか、短い期間でも濃いお付き合いをしていたと思います。日本で普通にOLを続けていたら接点が無さそうな様々な業種の方々からは色々な知識を得ることができました。
今のようにスマホもなく、情報を得るための危険と挑戦の紙一重的な経験は失敗や予想外なことも多々ありましたが、そういうことも楽しめる精神的体力がつき、またそれらの経験を共有できる仲間がいたことは今となっては楽しい思い出です。
◇習い事
 せっかく中国にいるなら…と二胡や中国茶を習いました。
 日本では二胡の音を出せる環境にありませんが、中国茶は会社に常備して楽しんでいます。
韓国語や英語も習ったのですが、先生の説明を聞き取るために文法用語を覚え、同学は休み時間になると珍しい日本人を囲みにやってくるので結果として中国語を使う機会が増え、一番の成果は中国語の上達でした。
◇街の発展について
 2001年~2003年頃の杭州は発展前で、日に日に自家用車が増えていった様子を覚えています。
 手机が普及し始めたのも、この頃でした。相互学習で仲良くなった日本語学科の中国人学生たちと短信をするようになると、まだ中国語を使い熟せていなかった私は辞書に頼りながら数行打つのも一苦労。速攻で返信があると疲れました。しかしピンインの定着には役に立ったかもしれません。
 ハイアットホテル横のスターバックス杭州1号店の開店は2001年末頃。コーヒーの味を知らなかった当時の一般人に20元は高く、開店当初は外国人留学生や駐在員の姿が目立ち、いつ行っても空席が目立ち静かな空間でした。
 2005年頃になると公寓の駐車場にも高級車が並び、自転車で横を通るのに緊張しました。自転車…毎回中古自転車を入手していたにも関わらず6台を人民に献上させられました。
 2008年以降は北京オリンピックや上海万博など世界的なイベントが続き、高速鉄道や地下鉄が開通。成長著しい時期に身を置いて体感できたことは、とても貴重な経験です。
 周りの中国人は皆裕福になりたいと活気に溢れていて勢いがあり、日本の高度経済成長期もこんな感じだったのかな?と思うことがありました。
 今日本で勤めている会社で嘉興に赴任した2014年には自家用車通勤のスタッフも珍しくなく、公共バスやレンタル自転車の利用に一番詳しいのは私でした。
◇中日の違いについて
 留学を終えて最初に就職した会社は杭州の隣り、嘉興にありました。
 銀行や警察、いわゆるお役所は11時半から14時まで昼休み。
 開発区の事務所では書類を届けたいだけなのに「担当者が入院してしまったので」と預かってももらえず何日も押しかけるなど非効率的な日常に、累死了な日々でした。
 しかし、田舎なだけに中国語が話せる日本人は珍しく一度会うと相手が覚えていてくれて雨宿りしている時に通りかかった警察の方がパトカーで送ってくれるなど特別な体験も多かった気がします。
 中国で勤務した会社は3社。いずれも日系企業ですが、運よくやってみたい仕事を色々と経験することができました。中でも現地工場立ち上げの仕事は非常に大変でしたが有意義な経験で、その後も様々な場面で役立っています。
 中国人の転職が多いことは中国で働くと知ることになりますが、履歴書を見ると転職で上手にステップアップしている人も一定数いて感心しました。
 転職のイメージが違うからか、会社を去る人とも関係を絶たない場合が多いと感じました。もちろん在社中の良好な関係があってこそですが、在籍した3社とも当時の駐在員や現地スタッフ、技術提携で出張協力いただいた日本人の方々など今でも交流が続いているのは嬉しいことです。中国で働く上で重要視されるキーワード“人脈”。良い人脈とは仕事だけでなく友人として長く付き合っていける関係だと感じます。
 会社行事で日本と大きく違うのは盛大な忘年会と社員旅行。忘年会はホテルの宴会場を貸切り抽選会や出し物の披露。日本人で何かやれ、となるので中国語で覚えたカラオケや二胡が役立ちました。
 田舎からの出稼ぎワーカーたちにとって忘年会の豪華な料理を食べる機会は貴重で、抽選会の景品は漏れなく春節帰省時の土産となるので盛り上がり方が半端なかったです。
 社員旅行ではワーカーは電車で北京も没问题ですが、スタッフは自費負担をしてでも飛行機を希望。中国全体が豊かになったイメージを持たれがちですが、出稼ぎ労働者と沿海部出身のスタッフの間にも大きな差がありました。
 中国に慣れてしまうと日本の社会は窮屈です。日本ではまだ基本的に女性には補助的な位置に置いておくのが普通という概念が根強いようで、中国社会を経験してしまうと物足りなさ絶大です。また、中国では想定外が多すぎでしたが、慣れてしまうと日本の刺激が少ない日々は達成感のような充実を感じる機会が少ない、という感覚もあります。
 もともと大人しい性格だった私が堂々と行動、発言できるようになったのは中国という環境に身を置いた経験が大きいですが、日本に戻ると以前の性格のほうが日本には合っていたのだな、と感じます。
 今の会社で残念に思うのは、帰任した社員を中国とは接点のない業務に就かせてしまうことです。現地社員との関係が切れてしまい双方にとってもったいないと思います。
 なんでも日本のやり方のほうが好いと思っている人も多いですが、中国式のほうが効率良いことも多々あります。臨機応変さは、中国のほうがあると感じます。
◇趣味
 西蔵や九寨溝、哈爾浜、雲南、海南島…北から南まで全省制覇を目指しましたが一番行きたかった敦煌は行けずじまいでした。
 中国で一番貧しいと言われる貴州省では怖い思いをしたこともありました。
 とはいえ15年前のことなので、いつか違いを見に尋ねてみたいです。
 誘われて12kmほどを走った西湖国際マラソン、その後距離をハーフに伸ばし、昨年はフルマラソンを完走しました。当時は西湖が近く練習場所には恵まれた環境でした。
 西湖国際マラソンのフルマラソンの部は制限時間が5時間と初心者には厳しい制限なので杭州滞在中はエントリーする勇気がなかったのですが、5時間を切れるようになったので、いつか挑戦してみたいと思います。
◇終わりに
 最近は日本にいても中国語が聞こえてくる機会が増え、生活圏でも思いがけず中国語が役立つ場面があります。中国滞在中は多くの名前も知らないままの中国の方々にたくさん助けてもらったので、恩返しの意味で率先して臨時通訳するようにしています。
 中国朋友はもちろん、留学で知り合った日本人以外の国の同学たちは共通言語が中国語なので、今後も中国の出来事に関心を持ち中国語は一生使えるようにしておきたいです。


嘉興赴任時の会社食事会(2015年)
 



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