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杭州にいたアノ人は今!川内 美保


名前:川内 美保(旧姓 中薗)  ローマ字名: Miho Kawauchi(Nakazono)
勤務地:大阪府
趣味:旅行 ライブ・フェス
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「大学の思い出=杭州の思い出」
私は、2002年~大学3回生の1年間、浙江大学に語学留学していました。大学生時代を思い出そうとすると、ほとんどが杭州の思い出です。本当によい1年間でした。
 
大学に入って外国語の履修科目を選択するとき、英語が苦手だった私はアルファベットを使わない言語にしよう、そうなると中国語かアラビア語だな、とりあえず使用人口の多い中国語にしよう、という消去法で選択しました。その後大学で浙江大学へ2週間の短期留学があり、海外へ行ったことのない私は旅行目的で参加。そこで、現地学生の日本語の上手さに驚きました。大学で外国語を勉強するだけでこんなにも話せるようになるのか!私の中学高校の6年間の英語の授業は、その場にいただけで勉強はしていなかったと感じました。そしてこの人たちと中国語で話せるようになりたい。もっとちゃんと勉強しようと1年間の語学留学を決意しました。
実家から出たことのない私が、中国へ行く。過保護の両親はとても驚いてましたが、大学同士の交流があること、もう一人同級生が一緒に行くこと、留学にかかる費用はバイトで稼いで行くことで許可が下りました。
もともと怠け者の私は結局遊ぶことも多かったですが、杭州に行ってよかったと思います。現在は中国語を全く使ってない生活をしてますが、杭州での留学生活は楽しく、思い出深いからです。
 
浙江大学までは、その年の短期留学の参加者と一緒に連れて行ってくれることになり、まったく不安のないスタートでした。
初めの半年は留学生寮に住みました。授業は平日の午前中だけだったので、空き時間は寮の皆で霊隠寺や近所のバーに行ったり、知り合った浙江大学の本科生と西湖に行ったりしました。日本語を勉強している学生と相互学習もしていましたが、学習することへの熱意の差でほとんど日本語を使ってしまい、中国語が上達したかは疑問です。日本のゼミの単位をもらうため、日本語の文法についてレポートを作成しなければならなかったので、日本語が母語ではない人の疑問点は参考になりました。また時々西渓校区の日本語の授業を手伝ったりしていました。授業はすべて日本語で良いと言われましたが、日本語で日本語の説明は難しく、標準語のイントネーションで話し続けるのも慣れておらず、大変緊張していました。生徒たちは頼りないと思ったことでしょう。ある日、当時世界を騒がせていた「本拉登」は日本語で何というか?という質問があり、たまたま知っていた私は「ビン・ラディン」と黒板に書きましたが、あれは本当に知りたかったのか、私を困らせたかっただけなのか、今でも疑問です。別の生徒は自宅に招待してくれたり、周杰倫や五月天・王力宏のCDをお勧めだからとくれたりもしました。今でも時々聞いてます。
 
新しい地では、スーパーに行くのも楽しみの一つです。日本は「まとめ買いで〇円引き」ですが中国は「〇個買ったら1つプレゼント」のテレビショッピング方式が多いです。買い物の後は、フードコートの梨ジュースが気に入ってよく飲んでいました。ほかにも、中国の飲料は砂糖入りと砂糖なしが売っています。いつもは砂糖なしを選んでいたのですが、間違えて砂糖入りの牛乳を買ってしまったことがあります。でも意外とおいしかったのでその後は時々砂糖入りも買うようになりました。食わず嫌いはいけませんね。
 
後半半年は、外のマンションに友人と2人暮らしをしました。マンションの敷地の入り口におかずを売っている店があり時々買っていたのですが、店員に「あなたの話す中国語はとても標準だ」と言われました。ほめてくれたのでしょうが、私も日本語を勉強している人がガ行の鼻濁音を意識して使い分けているのを、頑張っているなと感じるとともに自然ではないなとも感じたので、私の話す中国語も同じような感じなのだろうと思いました。
授業は半年ごとに班分けがあり、数字が増えるごとに難しくなります。はじめは基礎を固めたいと思い2班に入りました。後半は残り半年しかないことに焦り4班に飛びました。漢字がわかるため読み書きの授業は4班でも問題なく、先生に来季の奨学金狙えると言っていただけたようでしたが、その言葉を聞き取れず、おなじ班の人に教えてもらうというリスニング力のなさでした。本当に読み書き以外の授業はついていくのに必死でした。
 
こうして無事留学を終え、帰国。すぐに就職活動です。就職氷河期にすでに出遅れているので、とにかくいろいろな会社を調べ受けているうちに、あっという間に日本の日常に戻っていきました。
 
現在、私はコンタクトレンズの検査・販売をしています。大阪のなんばに勤務していた時は中国人の来店が多く、すぐにオマケをくれと言われ、中国らしいなぁと懐かしくなります。些細なものでも喜んでくれるので、余った粗品などをこっそりあげてました。転勤で山口県に行き、長期応援で博多・倉敷・津山・高松にも行きましたが、どこへ行くのもワクワクしていました。杭州に行き生活をしたことで、新しい土地に行くことの楽しさを知ったからだと思います。
プライベートでも旅行に行くのが好きです。なかなか長期休暇の取れない仕事で弾丸で行くのがつらいですが。3年前に台湾旅行した際は調べていたバス停が移動して思っていた場所になく、道行く人に尋ねて回り、何とか目的地に行くことができました。久しぶりに中国語を使いましたが、ほとんど聞き取れないし話せなくなっていました。次の日も電車で日本好きだという女の子に話しかけられ、中国語を話す機会がありました。その女の子はわかるまで何度も簡単な言葉やジェスチャーで話してくれ、私の言いたいことも頑張って理解しようとしてくれました。その時、猫空(台北の絶景スポット)がおすすめだと教えてもらいましたが、やはり弾丸旅行で時間がなかったため行けず。次回台湾に行くときの旅程に入れたいです。杭州も久しぶりに行きたいですね。もう20年近くも前ですから、ずいぶん変わっているでしょう。どちらも中国語の復習をしてから、、、




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