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杭州にいたアノ人は今!西村公助


お名前:西村公助  ローマ字名:Nishimura Kohsuke
 
勤務地:株式会社 西村幸太郎商店
趣味:子供のバスケ観戦 / アクアテラリウム
年齢:40歳
 
○中国に行くと決意した日(2000年)
 
私は自分の家がお茶屋をしていることもあり、二十歳の頃、静岡のお茶を研究する学校に2年間在籍していました。
 そのころ知り合った中国人の貿易会社の社長が「私の会社は名古屋にありますが、中国の浙江省で茶畑と茶工場を運営しており、将来そこで日本緑茶の営農指導と製茶指導をしてくれないか」と言われたことで、初めて中国という国に興味がわきました。
 実際に「ニーハオ」しか話せない状態で、2年間の静岡生活中に一度中国に連れて行っていただき(初海外)、そこで現地の茶畑と工場を管理している方たちと交流させていただきました。その時に「通訳を通さず自分の言葉で説明したい!」という思いがきっかけで、貿易会社の社長に「少しでも中国語を話せるようになってから指導をしたい」と相談したところ、浙江大学への留学を薦めてくださいました。
 
○留学生活(2001~2003年)
 
 長い人生の中で留学期間を一言でいうと、「人生でもっとも自由な時間」でした。
私のイメージでは海外に留学される方は結構な割合で、アグレッシブに行動される方が多いような気がしますが、私は如何せん邪魔くさがり屋な性格で、中国国内で様々な場所には行きましたが、すべて友人や仕事仲間の誘いについていくばかりで、自分からここに行きたいというのは皆無でした。そんな性格も相まって学校敷地内の珈琲館や近場の蘭州拉麺、織田亭、バックストリート、好又多、武林広場などの場所で過ごした仲間との時間が私の思い出の大半です。
思い出話のついでに、よく言われる言葉で「日本の常識は世界の非常識」を実際に体験できたことも大変貴重な経験でした。
 2000年に入ったばかりの杭州は経済的水準も文化的水準も今とは全く違ったものでした。
西湖のまわりや路上など様々なところに老若男女問わず物乞いがいましたし、一般の方でも料理が盛られていた皿や椀を灰皿として使ったり、痰が絡めばどこにでも吐き捨て、順番は守らないなどの面白体験がいっぱいでした。
とある日、物乞いに物を与えると大変しつこいので基本的には無視するのですが、その日は少し確認したいこともあり、小さな女の子(小学生ぐらいだったような)が物乞いをしてきたので、お金ではなく未開封のペットボトルをあげました。ペットボトルをもらった女の子は礼も言わずにその場を去りました。私は女の子の後を追いました。去ったその先で女の子は中年の男性にそのペットボトルを渡しているのを目撃しました。私が確認したかったのは本当に物乞いの子供の周りには取りまとめる大人がいるかってことでした。その後、その中年男性がペットボトルを開けて飲もうとしたので「あなたにあげたのではなく、この子にあげたので、その飲み物を子供に返してください」と中国語でもなく強めの関西弁で意見させていただきました。
あとはタクシー待ちで割り込み乗車してきた方を引きずりおろさせていただいたり、ルームシェアしていた日本人の留学生と騒ぎすぎて、近隣住民に部屋のブレーカーを落とされ、翌日には部屋を追い出されたり、バスで大きな声で仲間と話していたら、私たちよりも大きな声で中国人の方に説教されたり、杭州の動物園で檻の中でのパンダとのツーショットは禁止されているのに、飼育員に100元渡したら檻の中に案内されパンダと写真を撮らせてくれたことなど、「郷に入れば郷に・・・」従いきれませんでしたが、本当に刺激的で、常識なんて言葉は場所や生活、環境によって多種多様なのだと学びました。
そして学びではないのですが、中国の話しで忘れてはいけないことが・・・それは「食」です。私は杭州の料理が口に合いすぎて、留学時代だけ10kg近くは太りました。今でも中国人の嫁に時々、「木耳里几」や「本鸡煲」「家常豆腐」を作ってなどとお願いすることがあります。
 旅行とは違い、今までと違う環境で生活するとなれば、「文化」とほぼ同等に「食」も重要な要素だと考えています。
「住めば都」と言いますが、住んでいるだけでは都にはなりません。その地域の習慣、文化、食、様々なことを許容し理解することで、その場に溶け込んでいくものだと私は考えます。
 
○留学を終えて今まで(2003~2020年)
 
 SARSがきっかけで私の留学生活は終了しました。
その後は名古屋の社長との約束通り、杭州から車で約1時間の湖州の長興県にある茶工場と茶畑の営農指導と製茶指導に3年間従事しました。
そこで出会った、同じグループ会社の経理をしていた、彼女と結婚し、2006年に帰国してからも変わらず、日本で茶作りを続けています。
今年は新型コロナの影響で嫁の故郷である紹興の諸曁市にまだ帰れていませんが、今でも年に1~2回は中国に私、嫁、3人の子供たちとで里帰りをします。滞在期間は1週間ほどですが、それでもしっかりと毎回1kg以上は太れる中国は私の第二の故郷です。



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